こんにちは。oicchimouseです。
前回、子どもの小学校の夏休みの宿題について、「体験」に関する宿題の比重が大きい、というお話をさせていただきましたので、今回は、それに関連して、〈体験と読書の相関性〉についてお話させていただこうと思います。
読書というのは、体験と密接なつながりがあります。
体験したことが読書をしたときに重なり、読書をした時に読んだ(あるいは見た)ことが、同じ体験をした時に「あれは、こういうことだったのか」と重なる。
親子自転車の後ろに子どもをのせて坂道を下っていた時に、子どもが次のようなことを言ったことがあります。
「『風が頬をなでてくすぐったい』という文章が何かの本に出てきたけど、それが今どういう感じのことか分かった」
また、もっと小さい頃には、『いたずらこねこ』(注1)という絵本の中の、「亀が頭をひっこめる」という部分の描写について、次のように言ったことがありました。
「亀が頭をひっこめるのは、絵本やテレビで見たことがあるけれど、実際には見たことがないから知らない」
当時の小さかった娘にとって、「見たことがある=知っている」ではなく、「実際に見たことがある=知っている」ということのようでした。
この時に私は初めて、実際に体験していないと、本当の意味での「認識」に到達したとはいえない、ということを知りました。
また、福音館書店の創業に参画し、児童文学者でもある松居直さんも『松居直講演録 こども・えほん・おとな (「絵本で子育て」叢書)』中で、「生活体験を豊かにするということ」の重要性についてお話しされています。
松居さんは、賀茂川での川遊びの中で、「季節による水の温度の違い」「雨の後の水の多さ」「日によって、時間帯によって、異なる水の色」「いろいろな魚がいること」など、たくさんのことを知ったそうです。
そして、そういった川の描写がある本を読むと、その時の情景が目に浮かんでくるそうです。
松居さんは次のようにおっしゃっています。
「本の世界に深く入り込むためには、豊かな生活体験や実体験がなくてはならない」
近年の子どもたちの、身近な生活体験を得る機会の乏しさも、読書を楽しめない子どもが増えている理由の一つなのかもしれません。
夏休みが、特別な体験でなく、些細な、本当に些細な日常の中にあるいろいろなもの(雨の音、蝉の声、土の匂い、水の冷たさ、ご近所さんと交わす挨拶…)を拾い集めて自分の中にためていく良い機会になるといいですね。
(注1)
『いたずらこねこ』
バーナディン・クック ぶん
レミイ・シャーリップ え
まさき るりこ やく
福音館書店
(あらすじ)
「この こねこは まだ かめを みたことが ありませんでした。ほんの ちいさな こねこなので、よのなかを あまり しらなかったのです。」本文ママ
ほんの小さな亀が池から上がってきて、まっすぐ歩いていくと、その先には、ほんの小さな子猫がいて、2匹は出会います。
しばらく見つめ合ったあと、子猫は、前足で亀をポンと叩きました。
すると、亀の首が消えてなくなったので、子猫は、驚きます。
全て白黒の絵で、亀のいる池だけが印象的なグリーンに描かれており、地面を表す真っ直ぐな線が左のページから右のページまでつながってひかれています。
その線の左側から亀、右側から子猫が、歩いてきて徐々に近づいていくという、少し珍しい技法がとられています。
原題は
『THE CURIOUS LITTLE KITTEN』
=好奇心の強い子猫、知りたがり屋の子猫