【今日のおすすめの本】(対象…かつて子どもだったすべての大人)
『子どもという世界』
キム・ソヨン 著
イム・ジーナ イラスト
オ・ヨンア 訳
かんき出版
児童書の元編集者で、現在は読書教室をされている、キム・ソヨンさんの、『子どもという世界』。
育児書や子育て本とも違う、子どもの世界を丁寧に見つめて描き出されたエッセイです。
キム・ソヨンさんご本人はDINKsですが、読書教室を営む中で出会ったたくさんの子どもたちとの会話や交流を通して、「目の前にある子どもの世界」と、かつて子どもだった「自分の中にある子どもの世界」を行ったりきたりします。
「『今どきの子たちは遊ぶ時間がない』『友だちがいない』『ゲームばかりしている』と嘆く大人たちもいる。そこまで気の毒がっておきながらも一方では、もう今更どうすることもできないとでも思っているようだけれど、子どもの立場はそうじゃない。大人たちの幼少時代とは、環境もずいぶん変わったとはいえ、子どもたちが遊びたいという事実には変わりがない。どうにかして遊ぶ時間を捻出して友人たちを呼び何かをしながら、子どもたちは遊ぶ。」(本文ママ)
(子どもについて)
「子どもの『盛っている話』には無視することも、笑うこともできない魅力がある」
「長くて3、4年前のことを、思い切り「昔」だと言う」(本文より)
「大部分の育児書が『子どもの個性を尊重せよ』と強調するが、どうして親の個性は尊重しないのか?」(本文より)
などなど、気になる言葉、心に留めておきたい言葉がそこかしこにあふれていて、付箋がいっぱい。
子どもの遊びをとりまく環境については、私はまさに嘆いている大人の一人でした。
でも、子どもの日常の楽しかった話を思い返してみると、確かに子どもたちは、子どもたちなりに遊んでいる。
学校のトイレのあまり使われていない古い個室を秘密基地にして、毎日みんなで学校の先生たちの噂話を情報交換したり、入る時にはドアの下の隙間からつま先を少し滑り込ませて、上履きに書いている名前とクラスを中にいる子どもに見せることで入館証がわりにしたり…とそれなりに楽しく工夫して遊んでいるようです。(このことは子どもたちだけの秘密の集まりだそうなので、誰にも言わないでくださいね)
著書の中で触れられている、「遊びと遊ぶことの違い」
大人が子どものために開催するイベントは、「遊び」と名前がついているけど、それは何か違う。
砂と遊ぼう、書店で遊ぼう、経済で遊ぼう…実際は教育目的なのに名前だけ「遊び」とつけたプログラムにも、著者は、違和感を抱いています。
エッセイを読み進めていると自分がだんだん小さくなっていくような、子どもに帰っていくような、不思議な気分になります。
なんだかうまく空気が読めなくて肩身が狭いような気持ちになったこと。
習い事の帰り道にあるトンネルがものすごく大きくて暗くて長く感じていつも走り抜けていたのに、大人になってから訪れると、まるでただのほら穴のように小さくて短かったこと。
家庭と学校だけの世界が世の中の果てまで続いているように感じるくらい自分が小さかったこと。
ページをめくるたびに忘れていた小さい自分の記憶(心)が次々と蘇ります。
そんな心にそっと寄り添ってくれるような、ほっこりとあたたかい文章。
キム・ソヨンさんのような大人が子どもたちのまわりにたくさんいてくれたらどんなに素晴らしい世の中になることか。
著者の豊かな語彙のおかげなのか、今までぼんやりと感じていた子どもをとりまく社会への、説明できないような違和感なども、はっきりと目に見えてきます。
子育て中の人もそうでない人も、かつて子どもだった全ての大人の方にぜひ…というか、絶対に読んでいただきたい作品です。