こんにちは、oicchimouseです。
今日は急に寒いですね。長袖が足りません。毎年この時期になると、去年何を着ていたのか思い出せなくなるのは、なぜでしょうね?
先日からの速読、遅読に続きまして、今日は「積読」についてお話しさせていただきたいと思います。
Wikipediaには積読について、以下のように書かれています。
概要[編集]
「積んでおく」と「読書」のかばん語であるとともに、「積んでおく」の転訛「積んどく」にも掛けている[4]。
この言葉が生まれたのは明治時代だとされるが[4]、『書物語辞典』(古典社 1936年発行)に「江戸時代すでに朗読・黙読・積置を書の三読法と称した」とあるように[5]、概念自体は「積読」という言葉が誕生する以前からあったものと思われる。[中略]
アルフレッド・エドワード・ニュートンは「読むことができなくても手に入れた書籍は無限に向かって到達する魂よりも空っぽな1冊の書籍を読む行為より多くの書籍を購入したくなる興奮を生み出す。我々はたとえ読まなくても本のたった一つの存在感が慰めをもたらすし、いつでも手に取れる安心感ももたらしているから本を愛している。」と述べている[12]。
これを見る限り江戸時代から「積読」的な概念自体は存在し、朗読、黙読と並ぶ読書法の一つとして認識されていたようですね。
読まなくても本を積んで置いておくだけで癒される。
今は読めないけれど、読みたくなった時にはいつでもここにこの本がある!という安心感が得られる。
う〜ん、とても共感できる意見です。
あるだけでうれしい。本棚の前を通り過ぎるたびに、まだ読んでもないのにワクワクした気分になるのは、いつの時代もみんな同じなのですね。
もう一つ、民俗学・比較文明論の研究で有名な梅棹忠夫教授は、著書『知的生産の技術』[岩波新書](岩波書店1969.7.21発行)の中で、次のように述べています。
リンク
・何人もの人が、よむこととたべることとのあいだに共通性をみとめている
・食事には栄養ないしは健康という面と、味覚の楽しみという面とがあるように、読書にも、精神の糧という面と、心のたのしみとしての読書という面とがあるのではないか。
読書と食事が、めっちゃ似てる!というご意見です。確かに、そんな気がしますよね。
そういえば、すぐ思いつく言葉の中に「咀嚼(そしゃく)」という言葉がありますが、これには、
①食物を細かくなるまでよく噛みくだくこと。
②物事や文章の意味を考えつつ味わうこと。
という、食べ物関係と文章関係の二つの意味があります。このことからも人間が読書と食事に共通点を見出してきたことがよくわかりますね。
そして、食事で大切とされることのひとつに「料理の盛り付けの美しさ」があります。つまり見た目ですね。「目で味わう」と、いいましょうか。料理にとって見た目はおいしくいただくための前段階としてとても大切なことですよね。作った人から食べる人への最初のメッセージです。
前置きが長くなりましたが、「積読」とは、まさに料理でいうところの、この「目で味わう」という段階なのではないでしょうか?
「本」の外側、つまり私たちが積読で目にしている本の装丁部分とは、装丁家(ブックデザイナー)が作品から感じる魅力を熟考に熟考を重ねながらデザインに落とし込んだものです。
表紙のデザイン、紙質、字のフォントなど、それらの限られたツールを使って、本の魅力を一瞬で読者に伝える。
このことから、「本」の外側もある意味では中身の一部だといえるでしょう。それも装丁家が時間をかけて中身を濃いめに凝縮し、表現した渾身の外側です。
だから、これを眺めているだけで、みんながワクワクして、癒されて、脳が刺激されるのも当然のことなのです。
そして、そのことは、確かに「意味がある」。
電子書籍も便利かもしれませんが、この「積読」の「見て味わう読書」は、やはり紙の本だからこそなせるわざでしょう。
*余談ですが、梅棹忠夫教授も、上記でご紹介した『知的生産の技術』の中で独自の「つん読」方法について触れています。この「つん読」は、今回テーマにしている一般的な「積読」とは意味がだいぶ異なり、最初から2度読むことを前提に、1度読んだ本を積んでおき、読んだ直後のなまなましさを薄れさせ、本の見方を冷静にする、というものだそうです。ご参考まで…
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